(このブログは、中学受験において「塾なしで最難関校を目指す」ことができるように、社会の学習内容を網羅的に学べる記事を書いています。)
前回まで旧石器時代について網羅的に学んできました。(前回の記事はこちら↓)
というわけで、今回からは縄文時代について網羅的に学んでいきましょう!
縄文時代とは?
縄文時代とは、今から約1万3000年前~紀元前4世紀頃の時代のことで、旧石器時代の次の時代にあたります。
さて、ここで問題。
旧石器時代と縄文時代の境目は何で決まるかを答えなさい。
答えられない人も多いでしょう。でも、この「時代の境目が何か?」はとても重要なので、新しい時代を学ぶごとに確認しておきたいところです。
では、旧石器時代と縄文時代の境目とは一体何で決まるのでしょう?
これは、「土器」です。
旧石器時代の記事でも書きましたが、旧石器時代は別名「先土器時代」や「無土器時代」と言います。つまり、「土器がまだない時代」ということですね。
ところが時が過ぎ、人々は土器を作って使用するようになります。この土器を使い始めたのが縄文時代ということです。
縄文時代を知るための史跡(遺跡)・史料
旧石器時代と同様、縄文時代もまだ文字がないので史料がありません。よって、縄文時代を知るために必要不可欠なのは史跡(遺跡)になります。縄文時代を知るための史跡としては、以下の2つを覚えておきましょう。
縄文時代を知るための史跡①「三内丸山遺跡」
三内丸山遺跡は、青森県青森市で見つかった遺跡です。縄文時代のイメージを変える遺跡として注目されています。
この遺跡の発掘により、当時は定住生活や原始農耕が行われていたことが明らかになりました。
また、最大で500人以上の人口があったことも明らかになりました。
縄文時代を知るための史跡②「大森貝塚」
大森貝塚は、東京都大田区で見つかった史跡です。
この大森貝塚は、明治時代にアメリカ人の学者であるエドワード・モースが発見しました。
大森貝塚の発掘により、当時の生活の様子が詳しくわかりました。
縄文時代の日本の様子
以上の史跡から分かった縄文時代の日本の様子について、ここでは見ていきましょう。
当時の日本列島
・約1万年前に氷河がとけて海面が上昇したことで、現在の日本列島が形成された。
当時の生活〈衣〉
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当時の生活〈食〉
・狩猟(=狩り)や採集(木の実・植物など)をしていた。(食料採集の時代)
・原始農耕も行われ始めた。(本格的な農耕は弥生時代から。)
当時の生活〈住〉
・旧石器時代と同様に移住生活も営まれていたが、竪穴住居をつくって定住生活も始まった。
→日当たりがよく、飲み水の得やすい水辺で、狩りのしやすい小高い台地に住居をつくり、集落を営んでいた。
・近くに貝塚と呼ばれるゴミ捨て場があり、貝殻や壊れた土器・石器などが捨てられた。
当時の生活〈道具〉
縄文土器
・食物を煮炊きしたり、保存したりするために縄文土器がつくられた。
→比較的低い温度で焼かれ、縄目の文様がある。
→黒褐色で厚手でもろい。
磨製石器
・石器も使用されていたが、旧石器時代と同様の打製石器のほかに、使いやすいように加工された磨製石器も使われた。
土偶
・儀式、魔除け、安産祈願、自然への祈り、まじないのために、土を焼いて作られた素焼きの人形である土偶がつくられた。
→女性をかたどったものが多い。
・動物の骨・角・牙などを加工した骨角器を狩猟や漁で利用した。装身具として使うこともあった。
当時の生活〈社会〉
・旧石器時代と同様に身分の差がない社会だった。
・広い範囲で、物々交換が行われていた。
・縄文時代の終わり頃、大陸から米づくりと金属器が伝えられた。(→弥生時代へ。)
「縄文時代」に関する中学受験の出題例
少しずつ更新していくので、少々お待ちくださいませせ。
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というわけで、縄文時代についてはひとまず以上になります。少しずつ情報をアップデートして網羅度を上げていくので、今後もぜひチェックしてみてくださいね。